「7人の女がひとりの男にすがりついて言う」
二種類の教会
預言者イザヤによれば、終わりの時代には二種類の「教会」が存在するであろうということですが、私はこの二種類の「教会」はすでに存在していると考えています。イザヤは、これら二種類の「教会」がそれぞれどのようなものであるかについて非常に明確な預言を語っており私たちがあらためてあれこれと考えを巡らす必要もないほどです。
「神に対する怒り」
私は、クリスチャンが神さまに対して怒りの思いを抱えていることほど危険なことはないと信じています。ところが、多くのクリスチャンに出会う中で、主に対するいらだちを抱えている人々が次第に増えつつあることにショックを覚えています。 このような人々はもちろん、誰もが自分がそういう思いを抱えていることを認めているというわけではありません。
「恐れからの開放」
国々の経済が揺らされ、恐れが世界中に広がっています。そして今尚、その揺れが続き、私たちはイエス様の語った事を目撃しています。
「地上では、諸国の民が、不安に陥って悩み、人々は、その住む全てのところを襲おうとしている事を予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。」ルカ21:25~26
「人生に行き詰まるとき」
詩篇38編のダビデの言葉を読むとき、この敬虔な正しい人が、完全に行き詰まっているのを見ます。彼は意気消沈して失意のどん底にあり、降りかかる苦難が彼のすべての力を奪ってしまっていました。 次の混乱しきった叫びを聞いてください。:
「神の栄光を見る事の効果」
真にイエスの弟子である人々は皆、神の栄光を見、又理解する事が可能であるという事を、聖書は明らかにしています。確かに私達の主は、御自分の栄光を熱心に捜し求める全ての人々に明らかにされます。更に、神の栄光の啓示は、これから来ようとしている危険の多い時代に向けて、彼の民を備えるであろうと、私は信じています。
「私たちの神は、全てを修復することができる」
皆さんは(旧約)創世記の中で、神さまがアブラハムにお現れになった話を覚えていらっしゃると思います。この家長は樫の木の下に三人の男が突然現れたとき、熱い昼下がり、自分の天幕の入口に座っていました。アブラハムはこの人たちに会いに走って行き、食事の用意をし、彼らを迎えました。
会話の中で、主はアブラハムに妻のサラが居場所を聞き、そして神は驚くことを言いました。
「苦痛を理解する必要はありません。
私達の郵送者名簿に名前を載せている親愛なるクリスチャン女性が ら、悲痛な手紙がきました。
「1972年に、私達はダウン症候群の息子を肺炎で亡くしました。その子はたったの17ヶ月でした。7年後の1979年、15歳の息子を亡くしました。裏庭で木登りをしていた時に感電死したのです。
「勝利の祈りへの障害」
神の人々は、聖書全体を通して、常に祈るようにと命じられています。私達は、元気な時もそうでない時も、祈っていくのです。 又、全ての季節において祈ります。喜びと健康の時と同様に、落ち込んでいる時や病気の時にも。休息の時もと繁栄の時も、寂しさと 深い悲しみの時期にも。境遇や状態に関わらず、私達は絶えず祈っていくのです。
「地獄を揺るがす祈り」
ダニエル書が書かれたのは、イスラエルの民がバビロンの捕囚となっていた時期です。その書の6章に、ダニエルは、神に長く仕えた、八十の齢になっていました。この神の預言者であり、説教者であった彼は、仕えた二人のバビロン王-ネブカデネザルとその息子ベルシャツァルよりも生き、尚ダリヨス王に仕えていました。
「自分の霊的状態を感覚で判断してはならない。」
使徒パウロはテサロニケ人達へ、彼らが主の御前において喜ばしい歩みを学んだと奨励しました。彼は、
「あなたがたはどのように歩んで神を喜ばすべきかを私達から学んだ」
と言い、それから、激励を付け加えました。
「ますますそのように歩んでください。」(テサロニケ人への手紙Ⅰ4:1)
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