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イエス様が見えます。

by David Wilkerson | April 5, 2010

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April 5, 2010

神はこの世の全て作られしものは人の権威の下にあると私達に仰いました。ヘブル書のこの言葉を見てください。

「あなたが心に留められる人間とは、何者なのか。また、あなたが顧みられる人の子とは、何者なのか。あなたは彼を天使たちよりも、/わずかの間、低い者とされたが、/栄光と栄誉の冠を授け、すべてのものを、その足の下に従わせられました。」すべてのものを彼に従わせられたと言われている以上、この方に従わないものは何も残っていないはずです。しかし、わたしたちはいまだに、すべてのものがこの方に従っている様子を見ていません。(ヘブル2:6-8 新共同訳)

この箇所はこの地上の全て命あるものについての言葉です。即ち、日々の生活に関わるあらゆる事柄、農業、経済活動、国の統治などが人の手に委ねられました。

詩篇の著者はこの事についてこう述べています。「これにみ手のわざを治めさせ、よろずの物をその足の下におかれました。すべての羊と牛、また野の獣、空の鳥と海の魚、海路を通うものまでも」。(詩篇8:6-8) ある翻訳ではこの箇所をこうも訳しています。「あなたはあなたがこの地で創造した全てを彼等に委ねられました」。

聖書学者達は、この詩篇は主としてキリストについての預言を取り扱っていると言っています。真に、イエス様は人になり、肉にあって苦しんだ後、栄光と栄耀の冠を受けました。

聖書は御父が全てのものを御子の足の下に置いていると言っています。

しかし、ヘブル書の著者はここで言っているのは命ある人を管理者としてあげています。そしたら、今日の世は人が治めて、どんな様子になっていますか。

今、世界で何が起きていますか。この社会がどのような様子ですか。今私達が見ていることは、壊れかけた政府、乱れきった学校、右往左往する指導者、金融システムの瓦解、広まる失業、統制不可能な社会安全網、道徳価値の崩壊です。

これらがこの世界で裕福な、先進国と言われる国で全て起きています。愛する皆さん、この事からこう結論付けざるを得ません。「人は全く統制できていない」。

この事を考えて見て下さい。 今、この地球は原爆の大悲劇の瀬戸際に立つ可能性もあります。イランは原爆や原爆弾頭製造を他の国の制止にも関わらず止めようとしません。彼らはイスラエ ルを抹殺することを目指しています。イラン政府はこの世に彼等の救世主を齎すには混沌を作らなければならないと考えています。

簡単に言うと物事がどんな支配の下にいるのではなく、狂い始めているように見えます。これが、私達の周りを見ても恐れと混乱がある理由です。私達がまさに今見んとするものは地獄から悪しき者の洪水です。これこそキリストが言った、人の心が恐れでうろたえさせる洪水です。

ヘブル書の2章8節に私達の時代を指して、全てが全く統制されていない世界と表しています。しかし、そんな混沌の中で、著者が強調せんとしたのは次です。「イエス…を見る」(ヘブル2:9)の言葉です。

ヘブル書の著者は、私達の人生に起きた全てからイエス様を見出さなければならないと答えます。

ある人達は全てに主がいるなんて信じられないと考えるかも知れません。私の人生はめちゃくちゃだと感じているかも知れません。聖句にもそんな例があります。混乱によって信仰が揺らされ、自分の人生が狂わされた人達のことです。しかし、その中でも彼らは主を見出します。

大きな試みに際しての使徒ステパン、ヨハネ、パウロはどうしたのでしょうか。

ステパンは自分を殺そうと石を手に取っているキリスト嫌いの暴徒囲まれながらゆらぎませんでした。ステパンは自分の命は最早ない事を知りつつ、平安と静寂に満たされていました。この人の忍耐の秘密は何でしょう。

その時、ステパンは証します。「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」。(使徒行伝7:56)彼の眼差しはイエス様のみでした。イエス様が一緒にいると知っていたからこそ、むごい死とも厭いませんでした。

主を愛し、仕える全ての人達に、この率先は何か大きな重要な事が秘められていると思います。私達の苦しみや悩みの中でイエスを本当に見るなら、私達は「恐れるな」といわれるイエス様の声をきっと聞くことでしょう。

ヨハネも然りです。晩年に、かの忠実な僕ヨハネはパトモス島に流刑されました。これは事実上、独房の状態です。使徒ヨハネは看守以外には誰とも接触できません。厳しい寒さ、飢えと辛苦の孤独の時でした。しかし、そんな試みの時、ヨハネは力強い主の幻を得ました。ヨハネは書きます。

「わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右手をわたしの上において言った、『恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている』。」(黙示録1:17-18)

私は自分がヨハネの立場だったらどうしただろうと想像してみました。この神の人にとっても疑問と迷いの時であったに違いありません。これ以上最悪と言えない状況に彼は居たのでしょう。しかし、そんな苦悩に満ちた僕に対してイエス様の一声は「恐れるな」でした。

パウロも然り、同じ状況を知っています。自分の裁判中に、パウロはイエス様が自分の横に立っておられる幻を見ました。パウロは自分が置かれた迫害の中で宣言します。「みなわたしを捨てて行った。…主はわたしを助け、力づけて下さった」。(2テモテ4:16-17)

ステパン、ヨハネ、パウロの状況はこれ以上最悪と言えない状況でした。しかし、夫々の人はその試みの中でイエス様を見出していると証ししています。では、愛するクリスチャンの皆さん、一つ聞きましょう。現在の状況であなたはイエス様を見ますか。

この三人の人が言ったような事をあなたは言えますか。「キリストは我と共に立っておられる。私の状況に関わらず私を力つけて下さる」と。私達の時は、神の平安が真にあって必要な試み、闇の時に悉くキリストが共に居られる時代であると信じています。あなたの試みは病の一種ですか。失業ですか。未来での不安ですか。ハッキリ言います。「イエス様はそこにも居られます」。

パウロが自分の師事するテモテに自分の時を問う表現したかに注意して下さい。「兵役に服している者は、日常生活の事に煩わされてはいない。ただ、兵を募った司令官(Christ)を喜ばせようと努める-そして耐える」。(2テモテ2:3-4) 言い換えれば、「テモテよ、物事‐取引、心配、その他の何にも囚われて、キリストから目を逸らしてはいけない」と言っています。

パウロの生き様のどこにこの事が示されていますか。第一にパウロは当時の神学議論に巻き込まれませんでした。

パウロは人々が右と左に分かれて、争った時代を生きました。そして、徒党を組み、その争いは殺し合いまで行くこともありました。

パウロはその様な争いにこう応えます。「私はこれらとは関係ない。私がいるのは唯、一つ十字架に掛けられ、蘇られたキリストに生き、語る為だけである。主の僕として、そんな事柄に巻き込まれる事を拒む」。

パウロは、そして、テモテに次のように戒めざるを得ませんでした。「しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう。それは、良心に焼き印をおされている偽り者の偽善のしわざである」。(1テモテ4:1-2)

いかさま師はキリストの真の福音を曲解して人々に語ります。彼等は全く新しいイエスを発明します。

今、偽のキリストが福音主義的な教会に於いてさえ語られます。彼等のキリストは悔い改めを求めません。同性愛や同性同士が結婚する事を認めます。これが、愛と柔軟性という題名の元での、偽の信仰の包容力のキリストです。

当時のパウロはそんな変質を大胆に、宣言して反対します。「私は驚いている。こんな短い間に何があなたに起きたのか。あなたの多くがそんな邪悪な福音に惑わされるのが不思議でしょうがない」。

パウロはこの事がとても重要なので、対処法を授けています。「しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである」。(ガラテア1:8) これがパウロが語った、イエス様から目を逸らしたらどうなるかです。

今の教会があるべき姿を私達は見る事ができません。全ては正しい権威の下にいないからです。この悲劇に私達が取るべき姿勢は何でしょうか。私達は本当のイエス、変わることの無いキリスト、全てに勝たれて立っておられるイエス見るべきです。これ以外には、私達が必要な時に人為的に作られた福音など微塵の平安も与えられません。

パウロが言ったように、私達はこんなことで注意を逸らしてはなりません。私達は「思いが汚されて、キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである」。(2 コリント11:3)

ある時にはパウロ自信がその党派を率いると見なされ、総督フェリックスの法廷で裁判を受けることさえありました。

パウロが法廷に出された時、彼は話にもならない罪状が彼に掛けられているのを聞きました。「この人は熱心党(当時の政治一派)で、乱暴者で、色々な所でユダヤ人を扇動している。ナザレの異端、無法者である。彼はローマに謀反を起こすべく、沢山の人達を扇動している」。これはパウロを反対する人達が掛けた罠でした。しかし、パウロはそこでそれより大きな罠を見ます。サタン自信がイエス様中心のパウロのメッセージから焦点を逸らし、ローマ帝国とユダヤ人との激しい闘争に巻きこもうとしました。

論客であるパウロは、その相手を負かすことは容易いことでした。しかし、彼は自分がその政治的な戦いに絡まれる事を拒みました。彼は自分が語っている福音のためにそのような選択をしました。

やがて、パウロはアグリッパ王の前で自分を弁護することになりました。しかし、朝廷でパウロはキリストを説く事を選びました。彼はアグリッパ王に自分の身の危険さえも厭わずアギリッパ王に大胆に語りました。「王よ、私は主の声を聞いた。私は馬から下りて、その名を聞いた。主は自分の名をイエスと言いました」。

王はパウロの話に動かされました。そして、かの使徒を裁かずに、パウロを皇帝の法廷に審理をするためにローマに送る事に決めました。パウロの移動の前日、主はパウロの側に立ち、言いました。「しっかりせよ。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなくてはならない」。(使徒行伝23:11)

その励ましだけでパウロは充分でした。当時の最も強大な権力者の前に立つとしても、パウロは「イエスは全ての主である」と言えたに違いありません。

サタンは神の民がそのメッセージから離れる事より望んでいることはありません。その方法の一つはクリスチャンを政治的な議論に巻きいれ、それに完全に巻き込むことをします。そしたら、そのことだけ、その人は話すことになります。イエス様は最早関心事ではなくなります。

それは関心を傾けるべきものがあるでしょうが、心に憎しみをもって、キリストに似つかない活動に心が行く極端を犯してはいけません。心を乱す事無く祈るべきです。

私達の主は主の平安を盗る何事も許してはならないと言っています。現に主は私達が主の平安に入りなさいと言っています。「それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか」。(ヘブル4:1)

これは私達がそんな考えに加担しない、また入らない事を意味します。それだけではなく、私達が希望の道しるべ・証しとなる方法です。周りの挑戦的な人が私達に聞く時、私達は信仰と自信を持って答えるのです。「イエスはわが望み、平和です」と。

私の言った事を間違わないで下さい。私は政治的な発言をしているのではありません。かえって、私はクリスチャンに今日の政治の毒気づいた論争に巻き込まれないように戒めているのです。パウロはその行き着く先を見ていました。また私達も然りです。

政策や政治家が私達の心、考え、行動の中心ではなく、イエス様が中心であり続けるべきです。これらが重要でもありますが、これらが私達の中心から、キリストの福音を盗んでいく事があるのです。クリスチャンとしての私達の確信は、全ての国々が私達の主イエスの権威の下にあることを知ることです。

私達の周り、この世は崩壊しています。しかし、私達はイエス様を見ます。私達はイエス様を全ての試みの中、見出します。私達はイエス様が苦痛、苦しみ、私達の叫び、全てに於いて共に立っておられる事を見ます。

その先に、私達はイエス様が御自身の来臨に備えるべく、全てを用意しておられる事を見ます。ハレルヤ

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