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死から蘇る

by David Wilkerson | September 7, 2009

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September 7, 2009

クリスチャンとして私達はイエスキリストの復活を信じます。主が十字架に架かった後、聖霊は死体が横たわる墓に入って、主を蘇らせました。これは私達が復活祭にイエスが墓から蘇られ、仇に勝ち、今や聖徒と共に永久に治めると賛美する故です。

同時に私達もそのキリストの力によって蘇ることを信じています。これはイエス様が再臨した時に起きることです。聖書は瞬く間に私達全てを変えられると言っています。聖霊はこの朽ちるべき体を地から蘇らせ、主御自身の臨在に私達を置きます。

これが、パウロが書信に記した復活の力です。死屍たる者を蘇らせる神の力です。

私がここで言っているのは神が霊的に死んだ者に齎す復活の命の事です。

「さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである」。

「また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった」。

「しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである―― キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、天上で座につかせて下さったのである」。(エペソ 2:1-6)

もしあなたが肉に従って生きているなら、何れそれは死を齎します。私は物理的な死の事を言っていません。命の元が欠けて行くのです。例えば、物質的な物や肉欲に嫌気がさせば、さすほど、あなたはそれにのめり込んでしまいます。あなたはもっと虚しくなります。これが霊的な死です。

パウロは私達が「心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った」と言った時、この事を指していました。(IIコリント1:9)彼が「主は私を大いなる死から救われた。そして私を救い続けている。そして私をこれからも救う信頼すべき方である」とここで証しています。

パウロがこれを言っている裏には素晴らしい話があります。ある時彼はエぺソで福音を語りました。エペソの守護神は女神ダイアナでした。エペソの金細工師はその女神の細工を売って生業を立てていましたか、パウロは突然現れ、宣べました。「あなたの神は偽りである。唯一神であり、罪に死んだ者が生きられるように、神の子はこの世に来られ死んだ」。

銀細工師達は彼らの商いが脅かされる事に気付き、憤慨して、群集にパウロを捕まえ、殺すように唆します。パウロは自分は死ぬと考えました。

パウロは「わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい」告白しています(IIコリント1:8)。そして、彼は説明を加えます。「心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った」。(1:9)

あなたがパウロのように身動きできない程、絶望になった事がありますか。息することさえ絶望し、全く無気力なったことがありますか。パウロが「生きる望みさえ失ってしまい」と言ったのは、彼は「心のうちで死を覚悟し」処刑を直面していると言っています。

しかし、神はその時働かれ、パウロは救われました。奇跡を体験し、パウロはエペソの教会に書きました。「私は死から蘇らされた。主が墓から私を出しました。私は行くとろろまで行きましたが、神が私を復活されました」。

この街は命そのものに見えます。眠らない街、ビジネスの大物達が忙しく取引し、店は消費財を動かし、芸能企画社は演技と見世物のチケットを売り捌きます。

また、路傍では露天商らが客引きをし、レストランの主人は食事を用意し、タクシーの運転手は運賃を稼ごうと道を往来します。全てが、皆が忙しく動きます。ニューヨークには死んでいる様に見える都市ではありません。

しかし、神の霊は心にこう問い掛けます。「命とはこう言うものか。売り買いして、忙しく回る事が。こんなに忙しくしても真の命が得られたか。この忙しさの本質は何であるか」。

夜になれば、人々はナイトライフの一部を創り上げるべくニューヨークの街に出かけます。キリストを知らない者にとっては、盛り場のパーティーは楽しく見えます。罪は快楽であり、ニューヨークのナイトライフは生き生きして見えます。

しかし、罪の刺激は何れ続く事ができません。快楽を与えた同じ罪が、パーティーが終了と共に魂の嘆きを齎します。

ローマ書8 書には、パウロは罪の破壊的事実を列挙しています。彼は宣言しています。「肉によって生きるなら、あなたは死ぬ。情欲に従い、感覚に生きるなら、死に行き着く。罪の故に体は死ぬ」。

死は命の不在を意味します。そしてイエス様だけが、「わたしは復活であり命である」と宣言して命を与えます。

信じない者達は命が欠けているので、彼等が目指している全ては死に行き着きます。だから、たくさんの人達が酒や薬に溺れるのです。幻覚や酔いは最早パーティーの一部ではなく、罪によって与えられる痛み、全くの空虚に起因する痛みを和らげる方法となります。

「彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ、自ら無感覚になって、ほしいままにあらゆる不潔な行いをして、放縦に身をゆだねている。」(エペソ4:18-19)

なんと惨めな状況でしょうか。パウロが表しているのは。彼は「そんな人達は快楽の世界にとっぷり浸かり、無感覚になっている」と言っています。彼等は神や命を全く感じられなくなってしまいました。

パウロはキリストの肢体にある人達の状態を比較させています。「しかしあなたがたは、そのようにキリストに学んだのではなかった。あなたがたはたしかに彼に聞き、彼にあって教えられて、イエスにある真理をそのまま学んだはずである。すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて」(エペソ4:20-23)

パウロは複雑な事は言っていません。「あなたも蘇る事が出来る。変わり、新しい命に来る事が出来る」。

私がタイムスクェアー教会でこのメッセージをした時に、夜な夜な踊り、夜が明けるまで遊んだ女性が私の教会員の中にいました。彼女は実質的に自分が安らげる場所を探そうと近くのクラブで十年間を過ごしました。

彼女がこの教会に入って来た時、彼女は疲れ果て、霊的に死んでいました。彼女は何かに縋る、求める心でここに来ました。彼女は私の説教を聞いて、考えました。「この人は私に喋っているの。私の心を読んでいるみたい。心が読めるに違いない」。

彼女はあとで、聖霊が彼女の心の内側を示された事を学びました。その夜、彼女は通路を歩き前に出て、イエス様に自分の命を委ねました。今や彼女は復活と命である方の力によって生きています。

あなたのように、あなたの教会員の多くは嘗て罪によって死んでいました。多くの幸せに見える夫婦は、一度は離婚を考えた人達です。彼等は自分達の結婚生活は、救いようの無い、死んだものと考えました。しかし、神は彼等に新しい命を与えました。

今週、私は牧会をお辞めになった牧師先生からイーメールを頂きました。この方は自分を失敗と決め込んでいました。彼は罪の深みに落ち、妻と子供に捨てられました。彼の人生は崩れ、死にたいと思う自分を見つけました。

そんな暗闇の時に、彼は跪き助けを叫びました。イエス様はこの砕かれた、必死の男に来られ、彼に新しい命を吹き入れました。暫く経たない内に、彼の妻が連絡を取りました。「イエス様を覚えている。やり直ししましょう」。

その牧師は、今、薬物中毒のリハビリセンターで働いています。エペソ2:1-3に書かれている事を考えて下さい。「さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、…肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。」

もしかして、これはあなたの体験を表しているかも知れません。あなたが主を知る前には、あなたは自分の事をしていました。あなたは時の霊に捉えられ、あらゆる罪と快楽を試みました。神様は後回しと考えました。あなたは立派に働き、寄付をすれば救われると信じました。

そして主があなたに来ました。「しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし-あなたがたの救われたのは、恵みによるのである-キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである」。(エペソ 2:4-6)

愛する皆さん、これら全ては唯キリストに見出す事ができる新しい命のことです。パウロはここで最後の復活について話しているのではありません。彼は神がこの世でなさること-今ここでの復活を話しています。

では神の霊が巷に行き、救いようの無い罪人に手を差し伸べ、変える事が復活でなければ、何が復活と言えるでしょうか。これは私達の教会員の人達に実際起きたことです。かつて道端の浮浪者、薬物中毒、売春婦であった人達をイエス様が新しい命で触れました。

福音を宣べる世界中の大きな、また小さい教会で同じ事が起きています。死んでいた人が変えられ、新しい命を与えられています。何故ならキリストにあって全ては新しくなるからです。「古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」。(II コリント5:17)

最近、ある若者が彼の体験した劇的時のことを私に書き送りました。彼は「私は全てを失って、失望のどん底でした。私は全く希望がないと感じでいました。私はあらゆる罪を、安らぎを探そうとあらゆる方法を試しましたが、何にも助けにはなりませんでした。」

終に私はもうやめたと考えました。私は頭に銃口を向けて、自殺する寸前に、私は最後の祈りをしました。「神様、あなたがいるのであれは、私を愛するのであれば、私を止めてください」。

その瞬間、自分の中で声がしました。「郵便受けの中を見なさい」。

その若者は銃を置き、郵便受けに行きました。匿名の人が小包を彼に送っていました。そして、彼はその中に私の本「十字架と飛び出しナイフ」を見つけました。

その若者は座って、それを読み始めました。彼は一気に読み終えました。読み終えて、彼は泣きました。彼は叫びます。「神よ、あなたがニッキ・クルーズ、かのギャングリーダを救えるなら、私も救える筈です」。

この人は今や主に燃えています。神は彼に来られ、介入して、彼を二重の死から救いました。

あなたが初めて教会の礼拝に行った時、何を期待しましたか。その時、心は開いていましたか。あなたの魂に何かが働き、平和を語られると願っていましたが。あなたは深い所を触れられ、慰められる事を望んでいましたか。

あなたが今のあなたの教会に行くようになったのは偶然ではありません。無作為なことではありません。キリストの慈しみ深い霊があなたをそこに導きました。キリストの霊はあなたをそれまで見ておられました。「あなたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたを選んだ」。(ヨハネ15:16)

主は統べ治め、人の命を軽んじません。神はその御旨を成就するべく天地を動かす事が出来ます。そして、主はあなたを救うために、あなたの生に御計画を完成するためにあなたをその場所に置きました。

何年か前にある、ヘロイン中毒の若い女性がメッセージを聞きに来ました。彼女は薬癖を保つ為に、自分の体を売っていました。彼女は何かを感じるとかの状態を超えていました。彼女は一度も泣く事がそれまでありませんでした。彼女の心は冷え切って、苦々しく、内側から死んでいました。

私の説教の中ほどで、彼女は内に何か暖かいものを感じました。直ぐに彼女は祈り始めます。「神様、あなたがいるなら、私を泣けるようにして下さい」。

涙が落ちました。一粒、もう一粒。終に彼女の顔に涙が流れます。その涙と一緒に出てきたのは、彼女の憎しみや疎外感でした。

この若い女性は、後に「私を泣かせて下さい」と言う本を書いたクッキ・ロドリゲスです。彼女は死より生き返りました。今やクッキーは、神の復活の力の話を話して、テキサス中を旅行しています。

神にとって、あなたがどれ程罪の深みに嵌っているかは問題ではありません。神様が最早あなたを愛して無いとしてもあなたが考えたとしても関係ありません。あなたの心の扉の前に神の愛と慈しみが立っておられます。今、戸を開いて下さい。神は入って、新しい命にあってあなたを生き返らせます。

エペソ人への手紙4:17-23に、あなた宛の神様の呼掛けがあります。(著者意訳)

「自分の心が見えないから、無知に陥り、神の命から疎外される人達の道に行くべきではない。彼等は何にも感じることが出来ず、自分達を淫乱に渡している。その道の全てをすて新たにされよう。蘇れ。あなたの心の魂にあって」。アーメン

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