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放蕩息子とその父

by David Wilkerson | March 9, 2010

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ルカによる福音書15章に記されている放蕩息子は、父との過去の関係があったから家に帰ってきたのだと思います。この若者は父の人柄を良く知っており、父は彼にひたすら愛を注いでくれていた様です。そうでなければ、なぜ彼を痛い目にあわし、浪費したお金のすべてを返済させようとする、怒りと復讐心に満ちた人の元に帰ろうとするでしょうか。

きっとこの放蕩息子は、家に帰ったとしても、犯した罪をとがめられたり、罰せられたりしないだろうということを、知っていたのでしょう。おそらく彼は、「お父さんは、私のことを愛してくれている。きっと私の罪をなじったりしない。多分私を迎え入れてくれるはずだ」と思ったことでしょう。この様な過去の関係があるなら、いつでも家に帰ることが出来ます。

放蕩息子の父が、いかに優しさの祝福をもって、息子を妨げたか見てみましょう。息子は父に対して、心からの告白をしようと心に決め、帰路につく間中ずっとそれを復唱していたのです。しかし父の顔を見るや否や、彼は告白するチャンスを奪われてしまいます。彼に駆け寄り抱きしめることで、彼の父がそれをさえぎったからです。

「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」(ルカによる福音書15:20)父は息子が帰ってきたことが本当に嬉しくて、息子に接吻し、「愛しい息子よ。早く家に帰って、癒されなさい」と言いました。

父は息子が告白を終える前に、これらのことすべてを行ったのです。息子は、何とか練習した台詞の冒頭部分を、口に出すことが出来ました。しかし父は、息子が言い終わるまで待ちませんでした。父にとってみれば、息子の罪はすでに清算されているのです。父の唯一の反応は、僕たちに命令を下すことでした。「息子に衣を着せ、手に指輪をはめてやってくれ。お祝いをするための宴を準備してくれ。皆、喜んでくれ。息子が帰って来たのだ。」

父にとって、息子の罪は問題でありませんでした。彼の頭の中にあったのは、ただ愛でした。愛しい息子が罪を告白する前に、彼は受け入れられているのだと知って欲しかったのです。そして神様は、同じことを私たちに伝えたいと、願っておられるのです。神様の愛は、私たちのすべての罪よりも大きいのです。「神の憐れみがあなたを悔い改めに導く。」(ローマ人への手紙2:4)


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