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神の臨在の力-この危機のときに希望のメッセージ

by David Wilkerson | March 2, 2009

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March 2, 2009

このメッセージは神の臨在の全能なる力といかに神の子らがその力に与ることができるかについてです。聖書には、神の臨在が神に生きる人達にどれほど力付けるか、沢山の例を与えています。その中で、最も力強い例の一つはモーセの生涯です。

モー セは神の臨在無しでは人生を試みるのは空しいと考えていました。直に主と顔を合わせ話した時、彼は大胆に言います。「もしあなた自身が一緒に行かれないな らば、わた したちをここからのぼらせないでください。」(出エジプト33:15)彼はこう言っています。「主よ、あなたが私達と一緒にいないなら、私達はこれを乗り 越えません。あなたが御自身の臨在を保障しないなら、一歩も前に進みません」。

モー セは神の臨在が他の全ての国から彼らを分かたれる事を知っていました。同じ事が今の神の民にも言えましょう。私達と信じない者達を分けるただ一つのものは 神の臨在が 「私達と共に」あり、先に行き、私達を導き、御旨を私達の中で通して働かれます。神の臨在は恐れと混乱を退かせます。モーセの行動指針 は「私達には唯一つの法則で動こう。私達をこのとき導き、治め、戦わせ、行き残させる唯一つの方法は私達と共に神の臨在があることです。神の臨在が私達の 内にあるなら、誰も私達を打ちのめすことはできないでしょう。しかし、神無しでは、私達は助けがなく、無に等しいものとなります。世界の全ての国に自分の 強大な軍隊、鉄の戦車と巧みな兵士信じさせましょう。私達は神の臨在が現れる事を信じる。」

神 はモーセの大胆な宣言に答えました。 「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」(33:14)ここのヘブル語の「安息」とは「心地よい、平安な安心」を意味し ています。ですから神様はここで彼らに「あなたの試みや戦いがどんなものであっても、あなたは私にあって静かな安息と安心を得ることができる」と言ってい るのです。

次のいくつかの例を考えて見ましょう

  • ア ブラハムの歩みに神の臨在は明らかです。彼の周りの異教徒でさえ彼と自分らの命の違いを認識していました。「そのころアビメレクとその軍勢の長ピコルはア ブラハムに言った、「あなたが何事をなさって も、神はあなたと共におられる。」(創世記21:22)この異教徒の王は「あなたは何かが違う。アブラハム、神があなたが何処に行こうがともにおられる」 と言っていたのです。

  • 神 はヨシュアにご自身の臨在が彼と共にいる時どんな敵も太刀打ちできないと約束しました。」(ヨシュア1:5-6)神の霊が私達と共にいるなら、私達は強 く、雄雄しくある事ができます。何故なら神の約束が私達の行くところに一緒に居られるという神の約束を信頼するからです。

  • 神 はギデオンに言いました。「大勇士よ、主はあなたと共におられます。…あなたはこの力をもって行って、ミデアン人の手からイスラエルを救い出しなさ い。」(士師記6:12,14)ここの 「あなたの力」の言葉はその前の文に出る「主はあなたと共に居られます」にかけて言っています。神様は「キデオンよ、あなたにはイスラエルを救うほどの力 があなたの内にはある。この力はわたしの臨在である」と言っているのです。ギデオンは自分を臆病者としていますけれど、神は彼を「大勇者」呼んでいます。 何故でしょうか。主は御自身の臨在がある時、人に何ができるかを示されたいと思っているからです。

  • 神 はご自身が愛する者達と交わされる特別な約束 をイザヤに述べました。「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。 あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。あなたが火の中を行くとき、焼かれる こともなく、炎もあなたに燃えつくことがない。わたしはあなたの神、主である…わたしはあなたを愛する… 恐れるな、わたしはあなたと共におる」。(イザヤ43:1-5) 斜体は著者付加)神の臨在があなたと共にいるなら、あなたは火の中を生き残るだけではなく、全てのものから保たれ、守られるのです。

こ の旧約聖書の出来事は駄々のお伽噺ではあり ません。これには私達の命のうちにある神の臨在を信頼するように励ます意味があります。アブラハム、ヨシュアやその他の人達と同じように、私たちは神の臨 在の力強い証を持っています。神が私達の歩みを導き、道を開き、障害を取り除き、心配や重荷を取って下さることです。

ア サ王はエチオピヤの百万の軍勢から神の民を奇跡的な勝利に導いた人です。後に彼はその敵を散らしたのは神の臨在であったと証して「時にアサはその神、主に 向かって呼ばわって言った、『主よ、…われわれをお助けください。われわれはあなたに寄り頼み、あなたの名によってこの大軍に当ります。…』… そこで主はアサの前とユダの前でエチオピヤ人を撃ち敗ったので、エチオピヤ人は逃げ去った。」(II歴代誌14:11)

「彼 は出ていってアサを迎え、これに言った、『アサおよびユダとベニヤミンの人々よ、わたしに聞きなさい。あなたがたが主と共にいる間は、主もあなたがたと共 におられます。あなたがたが、もし彼を求めるならば、彼に会うでしょう。しかし、彼を捨てるならば、彼もあなたがたを捨てられるでしょう。そもそも、イス ラエルには長い間、まことの神がなく、教をなす祭司もなく、律法もなかった。しかし、悩みの時、彼らがイスラエルの神、主に立ち返り、彼を求めたので彼に 会った』」。(15:2-4)

こ こにあなたの歩みに神の臨在を得て保つ秘訣があります。主はアサ王にはっきりと言いました。「アサ王よ、あなたはこの勝利がどのように得られたかを忘れて はならない。あなたが苦しみにある時、あなたは心を尽くしてわたしを求めたので、わが臨在をあなたに送った。わが臨在によってあなたに勝利が齎されたこと を覚えておきなさい」。

神 の臨在がない時、法律もなく、よき教えや導きもなく、全てが混乱します。人々は自分勝手に振る舞い、行動します。これが今日の沢山のクリスチャン家庭の姿 ではないでしょうか。平安も、安らぎもなく、各々が自分がよいと思う事をし、混乱しています。慈しみ深い主はこんな状態を嘆いておられます。

そうする必要はありません。神の約束は変わる事無く、「あなたがわたしを求め続ける限り、これからあなたと供にいる。あなたが叫べば、わたしはあなたを見出す」と約束しています。

こ れは複雑な神学の話ではありません。誰でも、信仰によって呼ばわるなら神の臨在に繋がる事が出来ます。私達は約束されています。「もし彼を求めるならば、 彼に会うでしょう」。(15:2)原典で「会う」と記されたヘブル語の単語は「その存在が現れ、祝福する、出来るようにする」との意味です。先の聖句を言 い換えれば「あなたの心を尽くして、主に手を伸べれば、主はその臨在を現す。そして、その全能なる力によって保たれ、勇敢なものとなる」と言っているので す。

イ スラエルの民が荒野にいた時、神は雲を通して御臨在を現されました。この雲は、神がその民と供にいる約束の物理的現れでした。幕屋を昼夜に覆い、どこに行 くかの導きでした。雲が動けば彼等は動き、留まれば停止しました。民はそれからどうすべきかとか、未来を知る必要はありませんでした。彼等はかの見えてい る主の臨在の雲に全幅の信頼を寄せていました。

今 でも、神の臨在の雲は私達が密かに捧げる祈りの場所を覆っています。毎日、その場所で平安を以ってあなたを包むべく待っておられます。その雲はあなたを導 き、力付け、あなたを神の平安に保ち、家、職場、人間関係を導きます。その上、あなたは主と、あなたが職場に行く道、バス、何処でも交わることが出来ま す。神様に全てを集中して「主よ、この30分間、あなたと話したと思います」という事が出来ます。これがあなたの密かな祈り時間です。

主 と継続して深い交わりの時間を持つことは素晴らしい事です。主はあなたが深い交わりを求めるなら主の臨在があなたの歩みに現れ、神があなたの周りに介入さ れます。それだけではなく、もっと素晴らしい事が起きます。継続した神の臨在の求めはあなたをキリストの栄光の啓示へと導くのです。

モーセは「あなたをわたしに知らせて」下さるように神の臨在の継続した顕示を求めました。これに神はその僕にこう応えました。「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」。(33:14)

モー セのような願いは大多数のクリスチャンにとって充分なものです。私達の誰が、神の約束された平安と安らぎを願わない者がいるでしょうか。その上、何が必要 でしょうか。しかし、神の臨在の保障だけではモーセは十分ではありませんでした。彼は更に上を求め、叫びました。「どうぞ、あなたの栄光をわたしにお示し ください」。(33:18)

主 の栄光は光り輝く雲の中や大いなる力によって地が揺れ動く中で現れません。神はご自身の資質の単純な啓示によってその栄光を表します。「主は彼の前を過ぎ て宣べられた。主よ、神よ、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、 罪とをゆるす者」。(34:6-7)解りますか。神の栄光はその善きごと、慈しみ、愛、哀れみの啓示なのです。

ある人は言うかもしれません。「しかし、変貌山での弟子達の不思議な体験はどうなのですか。それも神の栄光の現われではなかったのですか。あの時は光り輝き、モーセやエリヤが不思議と現れましたが」。

その時は、神の栄光はモーセやエリヤやその光にあったのではなく、輝く栄光はむしろイエス様にありました。「その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。…そして雲の中から声がした、『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け』。」(マタイ17:2-6、斜体に注意)

こ こでキリストにあって神の栄光が人格化しました。イエス様は神がモーセに示した啓示の全て:恵みに富み、慈しみ深い、長く耐え、善き事と真に豊かで、千を 哀れみ、罪の過ち、間違いを許す事を具現した方です。変貌山では神は御自身の栄光を生きた証しとして啓示しました。「これが我が子の資質である」。

あ るクリスチャンはこう言います。「もし、主が地獄がどんな恐ろしいものかを見せて下さるなら、私は決して主から離れない。私はイエス様の為に行き続け る」。しかし、そんな幻は決して人が神から離れる事を防げません。イエスの幻のみが、その栄光と恵みと慈しみが、私達を聖く保つのです。私は臨死体験でそ んな地獄の幻を見た人を知っています。彼は起きてキリストと供に歩むと決心しました。しかし、何週間後その幻の記憶が薄れるにつれ、彼は以前の罪深い生活 に戻りました。

愛 する皆さん、神は「聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだもの」であるかを私達の目に見させようと願っています。それは単純にモーセに示された全 ての栄光は神の御子にあることを意味します。そして、今やそのキリストが私達の受けるべき相続として与えられています。「キリスト・イエス、私達の主は神 の豊かさの全てを生きています」。(コロサイ2:9、著者意訳)

この句にその理由が示されています。「また、その所でわたしはイスラエルの人々に会うであろう。幕屋はわたしの栄光によって聖別されるであろう」。(出 エジプト29:43)斜体の言葉「聖別される」は「清くされる」の意味です。神は「あなたがわたしに礼拝する時、わたしはあなたに会い、あなたにわたしの 臨在を与えよう。そして、わが臨在にあって、わたしは我が栄光をあなたに啓示しよう。それによってあなたはあなたの全ての環境を超越するであろう」。

で は何処で私達はキリストの啓示を見出せるのでしょうか。私達は神の御言葉を信頼する祈りに至る時に見出す事が出来ます。使徒パウロは、御言葉がイエスの溢 れ続ける啓示を出来るように私たちが容認した時、私達は栄光から栄光へと変わって行くと言っています。「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡 に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである」。(IIコリント3:18)

このキリストの啓示こそ私達の命の保つ力を与えます。「これはすべての栄光の上にある天蓋(覆い)であり」。(イザヤ4:5)言い換えれば、神の栄光は我々を(試みの時にても私達の善き心を)覆い保つと言っているのです。

神 様が私達に御子を知るべく時間を取るべきと言っています。私達は御言葉を探し、日々祈りに勤しまなければなりません。私達が神の臨在に繋がるなら、私達の 目は御子の栄光に開かれ始めるでしょう。キリストにあって全てが啓示されています。イエス様は神の愛、恵み、慈しみ、慈愛の全き啓示です。

あ なたがこの啓示を黙想し、神と交わり続けるなら、あなたは益々キリストと似る者となるでしょう。神があなたを如何に愛し、慈しむかを見る毎に、あなたは愈 々全ての試みの中で神を信頼するようになります。神の御言葉が明らかにしています。「主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけ ようとしておられる」。(歴代下16:9)心を尽くして神を求め、あなたの日々の生活にあってその臨在を願って下さい。そうすればあなたは神の不思議な栄光を知り、体験するでしょう。

私 は、不信の者らが、イエス様の臨在と確信無くしてこの災いの時にあって平安を保てるなど思いもつきません。今や恐れと焦りが黒雲のように人々の頭上を漂っ ています。最近、この世界の最も財力があると言われる人達の集まりで、ある発言者がこう言ったそうです。「これほどの問題はこれまでなかった。この問題は 我々が招いたが、解決策が分からない」。

こ の災いの時にイエス様に近づける事を神に感謝します。私の不安や迫ってくる恐れを全て、祈りの静かな場所、イエス様を純粋に愛するだけの場所に、持って行 き、私はただ、礼拝し、感謝し、痛み、気遣い、家族への心配を委ねます。私は毎日古い賛美歌を歌います。「密かに神に行かん、御顔仰ぎて、力を新たに得、 我走らん…我は神汝ぞ望まん」。

愛する兄弟姉妹の皆さん、イエス様はあなたの試みの時、あなたと共に歩まれます。イエス様はあなたを喜んで折られます。あなたは勝利して、試みを克服するでしょう。神がその臨在にあって、あなたを愛し、保ちます。

訳 兼小路 ヨハン 添削 星野 まり

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